柔道を作った嘉納治五郎の思想は柔道の基本理念として広く世界中で知られています。嘉納治五郎の言葉に遺された教えとオリンピックなどでの業績や著書についても解説します。
嘉納治五郎(かのうじごろう)は、1860年10月28日(万延元年)に現在の兵庫県神戸市東灘区御影町(誕生当時は摂津国御影村)で生まれました。政治学、理財学を学んだ東京大学文学部を1881年(明治14年)に卒業しています。学問に励みその後は学習院の教頭や東京高等師範学校(現在の筑波大学)の校長など教育者として教える立場でも活躍されていました。
嘉納治五郎は学生の頃は身体が小さく弱い自分に打ち勝とうと柔術を始めます。文明開化の真っ盛りの時期で柔術を教える師匠を見つけるのに当時はとても苦労したようです。師匠探しに苦労しながらも嘉納治五郎は福田八之助の元に入門して天神真揚流柔術を学び、その後、飯久保恒年の元で起倒流の柔術をも学びました。柔術を主に二つの流派から学んだ嘉納治五郎は、双方の技術を元に独自の柔術である柔道を作ったのです。1882年(明治15年)講道館を開いて講道館の館長となるとともに柔道を研究するだけでなく広く教え普及しました。
講道館の柔術を柔道と嘉納治五郎が名付けたのには理由があります。柔道を単に武術として技を鍛えるだけでなく、精神修行の道として人間を鍛えることを目指していたからです。柔道の名前には、優れた武術家であり、教育者でもある嘉納治五郎のその思想や教えが言葉の中に込められています。
嘉納治五郎が作った柔道には基本理念があります。それは『精力善用』と『自他共栄』です。基本理念に一つである『精力善用』とは、社会や周囲に対して善い方向に自らが持つ心と身体を最大限に用いることです。もう一つの基本理念、『自他共栄』とは、自分だけではなく他の人と共に世の中を栄えあるものにして行こうとすることです。お互いを敬う心と感謝の気持ちを持って信頼し合い、助け合う心を育てていく。そういう思想が言葉に込められています。
また、嘉納治五郎の言葉には名言としても多くの人たちに感銘を与えてきている言葉があります。いくつか紹介すると次のような言葉が遺されています。『人に勝つより、自分に勝て。』、『人生には何より「なに、くそ」という精神が必要だ。』、『時間を最も有効に利用した者に、最も立派な仕事ができる。』どの言葉も、嘉納治五郎の教えや思想を的確かつ簡潔に凝縮しています。
嘉納治五郎の業績は柔道を創設するだけでなく日本のスポーツ界にも多大な貢献を果たしています。1909年(明治42年)には日本人としては初めての国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任します。その後の業績としては、現在の日本体育協会となる大日本体育協会を設立して会長を務めています。オリンピックでは日本が初参加したストックホルムオリンピックに団長として参加し、後に返上されてしまいましたが1940年(昭和15年)に予定されていた東京オリンピックの招致についても尽力されていました。嘉納治五郎は1938年(昭和13年)5月4日、国際オリンピック委員会(IOC)の会議の帰路に氷川丸の船上で肺炎により77歳でお亡くなりになられました。
現在でも嘉納治五郎の名前は『嘉納治五郎杯』として柔道の国際大会にも残っているように、日本のスポーツ界、柔道界における業績により多大な功績を残されました。主な著作には、棚橋一郎との共著『倫理学』哲学館や『青年修養訓』同文館などがあります。